ビタミン不足社会人の戦闘記

自分落ち着け日記になっております。

合コンとはなんぞや

合コン 合同コンパ 

 

この催しをご存じだろうか。妙齢の方々は経験者が多いと思うが一部陰キャ界隈ではそんなものは行ったこともないし行ったやつも知らないし行ったやつの話を聞いたやつもいないのである。

私のコミュニティも御多分に洩れずそうだった。合コンって都市伝説やろと思ってた。私の人生に訪れることのないもの。やけどそれが違うらしいねんな。

 

ということでこの年になって生まれて始めて合コンの誘いが来た。

幹事の子の大学の友達らと幹事の子と自分というめちゃめちゃアウェーな中よくわからん人に会いに行く。不安で帰り出したい気持ちがもう2000%

 

者どもよ、これが数合わせである。

f:id:vitaminB6:20220211214824j:image

 

相手の詳細も知らないまま入店。どこ見て座ればいいのかわからない。皆は慣れてると思ってたから思いの外緊張感があることに驚いた。帰り出したい気持ちが3000%アップ。

 

そもそもよく考えたら人に会うのが苦手だった。初対面で事前情報のない異性なんて場が持たないランキング1位(私調べ)なのに。

 

 

お店はお洒落なスペインバルだったような気がする。もう記憶喪失になっててよく覚えてないけど。青が基調のお店でお酒の提供が早かった。分からないけど向いてる店なんだろう。

そして私の一番の興味、世の中の合コンは本当にあんな自己紹介をするのか、は見れるのだろうか。これを知るために参加したと言っても過言ではない。テレビでしかみたことないけどあんな地獄みたいな時間を能動的に過ごしてる輩がいると思うといてもたってもいられなかった。試してみたい!見てみたい!

ホラー系の映画で大体先に死ぬやつってこんな感じだったと思う。

 

そしてそれを知る機会は乾杯の5秒後に訪れた。真ん中に座っていた白T系の男性が何のなしに「じゃあ自己紹介俺からするね〜」

もうこの瞬間に己の目的は達された。帰宅してもよい。帰宅しても良いという顔は確実にしていた。

 

 

名前、会社、趣味、大学時代のこととか凡そ就活と変わらないような紹介をして同性にイジられ次の人という完璧な所作。台本間違えたら床が抜けて二度と地上には戻ってこれない気がする。

 

そこで気づく。合コンとはもしかしてパヤパヤしたやつらが適当に騒いではしゃいでいい場所ではなく皆が協調性、社交性、気遣いを駆使しつつ陽気に飲食を楽しまなくては行けない場ではないのか。いつの時代も社交場は戦場である。

 

そしてそれに気づいた頃は負けである。

 

自己紹介を誰より爛々とした目でみてる女(ブス)に居場所はない。だがもう好みの異性と話したいというよりはハイステータスな自分の話をきいてくれという方針に変わっていたようなのでそれほど誰からも邪険には扱われなかった。いいものである、合コン。

 

 

2次会にもなんだかんだ行きタクシー代もらって帰った。大満足。

だけどやっぱり自己紹介だけみて帰ってもよかったかな。そっちの方が場が盛り上がって面白そうだし。

推しが死んだ

2020年は波乱の年だった。多分ほぼ世界中の人にとって。

 

私は大学を卒業し社会人1年目になった。とにかく忙しくて慣れなくて怖くて頭の悪さと不便さを痛感した年だった。

 

今思うとそんなことはどうでもよかった。コロナがどうとか生活がどうとか、卒業式や飲み会がないとか夏までは文句を言っていた記憶がある。

 

でも夏の終わりに推しが死んだ。

 

絶句し悲しみに暮れ最後に何を思ってたんだろう、苦痛なんて私が全部引き受けたのにと考え夜を過ごした。

 

正直意外だった。中学くらいの頃好きでTwitterのアカウントを作りファン同士の交流みたいなことはしてたけどもう昔のことだから今も勿論すきっちゃすきだけど…って感じだと思ってた。だからこんなに引きずることに衝撃を覚えている。

 

初期想定以上に辛い。笑えない。その人に関連するニュースや動画をひたすら見て、呆然としていた。周りで同じような人はいなさそうだった。ほとんどの人にとって誰かの死は生活になんの変化ももたらさない。私の死も同様だろう。一々一人の命に戸惑っていては回らなくなってしまう。

f:id:vitaminB6:20211228160421j:image

 

そんなダメダメな私が寝れなくて辛くて怖くて悲しくても己の仕事のできなさに翻弄されつつ生きている。なぜだろう。

 

多分今までは信じられなくてどっか、私なんかの知らないところで幸せに生きてる気がしてた。

でももうテレビでも雑誌でもSNSでも見ない。更新されない写真、同じのばっかまわってる。私の世界に新情報が回ってこない。1年経ってファンアカでも死が受け入れられはじめている。

 

真相が不明だからこそ無限に推しの悲しみが想像されてしまう。死に向かうほどの苦しみや疲労があったことだけが確実なのがしんどい。考えても分かるわけないのだけど誰かが答えをくれないとずっと想像してしまう。

 

区切りをつけて推しの死を私の中で事実にしようと思う。だからブログに書ける。でも書いたらもうそれで終わりになってしまうので最後に言いたい事をまとめたかった。

 

私の方が絶対に不幸だと思う。推しはなんでも持ってた。羨ましかった。大好きだった。私は毎日こんなに苦しいのに生きてるぞ。だからあなたみたいな恵まれた人の苦しみなんて全部抱えていってあげるのに。あなたはただ幸せに引き続き私なんかと交わらない世界で生きていけばいいのに。なんで死んだんだ。なんで私が生きてんだ。怒りを通り越して不可思議だ。

 

とまあまだ感情は整理できていないが死を受け入れなくとも事実だと認識しようと思う。その過程で不必要に痛む部分は愛情ではない気がするし。

 

本当は怒りをぶちまける文章にしたかったんだけど悲しくて疲れてきた。私は誰の推しにもならないから誰もこんなに悲しませない。

一つ救いを学べた。ありがとう推し。

 

マンガが好きかと久しぶりにきかれたので

初めて「20世紀少年」を読んだ小学生の私が心奪われたのは話の緊迫感や登場人物の人間性などではなく秘密基地への憧れであった。

その証拠に物語の結末を全く覚えていない。いつもアイツの正体が思い出せずイライラしてしまうのだがその話は長くなるので本題に入ろう。

 

その後私はすぐに友人と「ケンヂ」に負けないように、アパートの水道管が張り巡らされた地下という今思うと凄まじい場所に基地を作った。

小学生のガッツは恐ろしい。

 

そこは少しカビ臭かったが薄暗くて誰にも見つからない特別な秘密基地だった。親に怒られたときや暇で長い夏休みはよく集まってバカみたいなことで笑い死にそうになったり愚痴を言って過ごした。当時流行っていたカードゲームの見せ合いは暗い地下ではほとんど見えていなかったのに毎回盛り上がった記憶がある。21世紀少女よろしく子供時代を謳歌した。

 

 

だがその大切な秘密基地も中学生になる頃には全く行かなくなり漫画の秘密基地への興奮と共に消え去ってしまった。

そして月日は流れ私は今大人になり、その秘密基地からはとても遠い場所に住んでいる。時々小学生を見かけてはあの秘密基地に想いを馳せてみる。まだあの地下には私達が運んだブロックはあるのだろうか、知らない誰かの秘密基地になっているだろうか。

 

今はもう楽しい秘密基地を作ってはいないが、趣味や楽しいことを始めてみるときはあの基地の中にいるように感じる。誰にも邪魔されず楽しいことに没頭する空間を今も作っている。

 

マンガやアニメをひたすら観てるとき、好きな音楽を一人で爆音で聴いてるとき、趣味に溺れているときだけが色んなことから抜け出せる。

スポーツや勉強、留学にサークル全部マンガをきっかけに始めた世界も割と長く愛せている。大人になることは秘密基地に行かなくなることではなく、見えない基地をたくさん持つことかもしれない。そして秘密基地を作る原動力は今も変わらずマンガの中にある。

 

 

 

 

お題「ささやかな幸せ」

陰キャ、辛すぎて一人で登山した。

まず初めに、論理性のない人間が文章を人様の目に止まる場に初めて書こうってんだからかなりお粗末な殴り書きになると思うが大目に見て頂きたい。勢いだけで開設した。

 

私は子供の頃からとにかく目立ちたくない人間だった。お遊戯会の役も一番人数が多いやつで…と要望する幼稚園児なんて今思うと微塵も可愛くねぇ。

リーダーとか一番とか司会とか逃げ回って、なるべく人を傷つけず傷つけられないように生きてきた。そしたら友達がめちゃめちゃ少ない、仕事のできない(これは能力値の問題であるがともかく)社会人になっていた。

 

週末もあまり人に呼ばれないし趣味もこれと言ってない。よくこのブログに出てくる人達のような同人書いてますみたいなほどの創作できる側のオタクでもない。まあ文章ここまで読めばそれは分かると思う。幼少期から引っ越し繰り返してるし幼なじみとかもない。

 

そんな私も大学はそれなりに楽しく生きていた。片手で足りる友人とテスト勉強したり稀に旅行したりして特に目的もなく就職した。まあ普通にいる大学生みたいな毒にも薬にもならない4年間だったと思うしもっと言えば平均値みたいな22年だと思う。

 

だけど有り体に言うと仕事で病んだ。

この言葉好きじゃないけど他になんて言っていいか分からない。毎日よく怒鳴られてる。皆も言われてるししょうがないんだろうと思ってたけど身体が壊れた。お風呂に入れなくなって駅から家まで帰れなくなって玄関で動けなくなって電車で涙が止まらなくなった。

怒鳴られているときに過呼吸になったのを笑われて止め方が分からなくなった。

 

こういうとき、陰キャの恐ろしいところは人に頼らない(ソースは俺のみ)。何かおかしいな〜疲れてんのかな〜(涙ボタボタ)みたいに日々を乗り越えてた。

誰にも相談しなかった。いじけているというより他人を信じないことを信じている。信仰は無くしてきたものの代償なのだってなんか昔のマンガで読んだような読んでないような。

 

 

そんなキメ顔しても体調不良は止まらない。あまり食事も取れなくなった。

頭と経験値が弱すぎてこういうときのストレス発散が美味しいもの食べる🌟みたいなのしか思いつかなかったからこれが結構しんどかった。

 

でも週末や毎晩楽しいことしようとしても憂鬱すぎて考えられないし涙止まらなくて顔腫れるし意味なかった。

 

いっそ週末に嫌なことすればそっちが憂鬱になるんじゃね?仕事の方がマシって思えることはなんだ。→運動→友達いないから一人でもできるやつがいいな。疲れるやつ。そしてど素人でもはたからみて浮かないやつ→山登ろ。

である。

決して陰キャがスポーツに目覚める感動とか、仕事を補って余りある充実した趣味が…とかじゃない。私の人生にそんなものは訪れない。

 

思い立ったらすぐやらないと本当に山なんて一生登らなさそうだからその週末に行くことにした。服とかリュックとかもちろん無いし買わないしなんかぽい物だけで揃えた。靴は普通のスニーカー履いた。高尾山だとそんなに憂鬱にならなそうだなと思ったから関東圏のまずまずのところに登ることにした。ギリギリ日帰りできるくらいで。

 

まず朝が始発。オタクの苦手事項「趣味イベ以外の早起き」だからまずこれしんどい。次に登山口で見た目で浮いてた。皆ちゃんと山ガール(死語)と山ボーイ(そんな言葉ある?)の格好だし、ましてや一人で登る人はプロみたいな格好の人ばっかだった。

崖なんかってくらい手も使って登って15分おきに休憩してる奴どんな高齢登山者から見ても浮いてた。なんでこいつ一人でよくわからんシャツきて登ってるん??っていう心の声が私を抜かしていく全員から出てた。

恥ずかしいなと思ったけど職場で呼吸できなくなってるときよりよっぽどマシだった。むしろ自分がまともとして22年も生きてた方が異常だったんだ、もしかして気づいてなかっただけ?周りは浮いてんなとか思ってたんかな。

 

とか色々汗だくになりながら登ってお腹とか全然空かなくてそれでも食べた方がいいよなと思って頂上で食べたおにぎりは喉にめちゃくちゃ引っかかった。あんまり景色に感動とか野鳥や植物で癒しとか感じないんで山頂付近は割愛。きっつ、まだ半分?くらいの気持ち。仕事よりきついかと言われるとギリ仕事と思ってちょっと笑った。一人で。週末の山頂で。24歳、こわ。

f:id:vitaminB6:20211217001016j:image

 

 

 

帰りの方がつらくて足動かないし限界だった。下山しきったときここ最近の人生で一番臭くて汚かった。それが、唯一ちょっと気持ちよかった。よくわからんけどざまあみろと思った。

 

帰りの電車は夕焼け綺麗で近くの銭湯入ったのに自分の汚さがまだ浮いてる気がした。運動嫌いでやっぱりめちゃめちゃ登山辛かったし道間違えたし明日からしばらく筋肉痛だしちゃんと仕事より憂鬱だなと思えた。

 

結論私はまた後日別の山に登ることになる。登山のある週もない週も仕事は辛いしたまに言葉が出なくなったり放心したりする。でも少しずつお風呂に入れるし駅まで歩けるようになった。

要因は何となく登山ではない気がするけどとりあえずタイトルの内容は終わり。何かに記録残したかった。はてなブログに登録して1hとかで推敲も何もないけど投げます。

私お疲れ。明日も仕事。