ビタミン不足社会人の戦闘記

自分落ち着け日記になっております。

推しが死んだ

2020年は波乱の年だった。多分ほぼ世界中の人にとって。

 

私は大学を卒業し社会人1年目になった。とにかく忙しくて慣れなくて怖くて頭の悪さと不便さを痛感した年だった。

 

今思うとそんなことはどうでもよかった。コロナがどうとか生活がどうとか、卒業式や飲み会がないとか夏までは文句を言っていた記憶がある。

 

でも夏の終わりに推しが死んだ。

 

絶句し悲しみに暮れ最後に何を思ってたんだろう、苦痛なんて私が全部引き受けたのにと考え夜を過ごした。

 

正直意外だった。中学くらいの頃好きでTwitterのアカウントを作りファン同士の交流みたいなことはしてたけどもう昔のことだから今も勿論すきっちゃすきだけど…って感じだと思ってた。だからこんなに引きずることに衝撃を覚えている。

 

初期想定以上に辛い。笑えない。その人に関連するニュースや動画をひたすら見て、呆然としていた。周りで同じような人はいなさそうだった。ほとんどの人にとって誰かの死は生活になんの変化ももたらさない。私の死も同様だろう。一々一人の命に戸惑っていては回らなくなってしまう。

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そんなダメダメな私が寝れなくて辛くて怖くて悲しくても己の仕事のできなさに翻弄されつつ生きている。なぜだろう。

 

多分今までは信じられなくてどっか、私なんかの知らないところで幸せに生きてる気がしてた。

でももうテレビでも雑誌でもSNSでも見ない。更新されない写真、同じのばっかまわってる。私の世界に新情報が回ってこない。1年経ってファンアカでも死が受け入れられはじめている。

 

真相が不明だからこそ無限に推しの悲しみが想像されてしまう。死に向かうほどの苦しみや疲労があったことだけが確実なのがしんどい。考えても分かるわけないのだけど誰かが答えをくれないとずっと想像してしまう。

 

区切りをつけて推しの死を私の中で事実にしようと思う。だからブログに書ける。でも書いたらもうそれで終わりになってしまうので最後に言いたい事をまとめたかった。

 

私の方が絶対に不幸だと思う。推しはなんでも持ってた。羨ましかった。大好きだった。私は毎日こんなに苦しいのに生きてるぞ。だからあなたみたいな恵まれた人の苦しみなんて全部抱えていってあげるのに。あなたはただ幸せに引き続き私なんかと交わらない世界で生きていけばいいのに。なんで死んだんだ。なんで私が生きてんだ。怒りを通り越して不可思議だ。

 

とまあまだ感情は整理できていないが死を受け入れなくとも事実だと認識しようと思う。その過程で不必要に痛む部分は愛情ではない気がするし。

 

本当は怒りをぶちまける文章にしたかったんだけど悲しくて疲れてきた。私は誰の推しにもならないから誰もこんなに悲しませない。

一つ救いを学べた。ありがとう推し。